影向山神護寺善学院 Episode 01

◆五輪塚と六十六部廻国塔◆

六十六部廻国塔 六十六部廻国塔 五輪塔 宝篋印塔 五輪塔

山門前に五輪塔と六十六部廻国塔を集めた塚がある。昭和26年4月水田(現在東保育園運動場)から出土した六十六部廻国塔と 二十四基の五輪塔、そして昭和33年当時大字田の東方揖斐川で砂利採集中川底より墓地の五輪石が多数発見されたものを集められたものとのこと。

揖斐川は享禄3年(1530年)の大洪水により流域が変わり、元の平野庄本荘地区を南北に縦断し、当時反映していた 中央本荘地区が川底に埋没した。現在の本荘は当時東本荘といい、丈六道を西本荘称したことから川底に埋没した地区は、 おそらく中本荘と言うべき地区であったと想像される。

この塚には「五輪塔」「六十六部廻国塔」などが集められており、中には「宝篋印塔」の隅飾突起のある笠と相輪 も確認できる。また「六十六部廻国塔」には寛保三癸亥天十二月とあり西暦1744年1月にあたる

※ 「六十六部廻国塔」…六十六部とは六十六部廻国聖のことを指し、法華経を66部写経し全国66ヶ国の霊場に1部ずつ納経行脚して 廻国成就の証として碑等を建立したもの。

※ 「五輪塔」…地輪、水輪、火輪、風輪、空輪の総称で、供養塔(くようとう)あるいは墓標として用いられた。

※ 「宝篋印塔」…宝篋印陀羅尼経を納めた塔。五輪塔と同様に供養塔・墓標としても用いられた。

◆金仏◆

金仏 金仏

古い由緒を秘めた善学院の立木の中に、214年間風雨にさらされた古びた青銅の色を見せる金仏は、明和8年(1771)に建立されました。 顔面やあご、腹の一部には、ほんのり残る金色が、当時のきらびやかな面影をしのばせたくれます。金物の台座の所に先祖追福(供養)のためと、 当時神戸村の豪商であった高橋惣大夫豊章という方が寄進されたと明記されています。

神戸町史上巻(682ページ)にいわれが記述してあります。それによれば、江戸神田の鋳物師・西村和泉守藤原定時が鋳造、 海路で輸送の途中、駿河沖でしけにあって沈んでしまいました。それで再び鋳造し陸路輸送で建立されたとなっています。

※坊守に頂いた「郷土の民話」(神戸町広報より抜粋)より

◆供養塔◆

供養塔 法華塔 蓮華塔

山門手前の参道脇に二基の供養塔がある。表面が風化して読み取り難いのですが 「法華塔」そして「蓮華塔」と書かれているようで…。どちらも妙法蓮華経、つまり法華経を納めた供養塔のようです。

◆石仏…地蔵菩薩◆

地蔵菩薩 地蔵菩薩

金仏の隣にある祠の中の地蔵様。廃仏棄釈の際に破壊されたのでしょうか…。

◆名波和泉守一族◆

阿弥陀如来 供養塔

昭和39年3月神戸町大字和泉地先(字中大門)で和泉城跡の調査中城跡より北約300mの水田中より大小7個の骨壷が発見され、 この地区が名波氏の墓所であったことが確認され遺骨は供養の後ここに改葬した。名波和泉守長勝は天正の頃を中心に1900余石を領し 和泉地区城畑に居城を構えていた。菩提寺は大垣市北方町慈渓寺である。








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