影向山神護寺善学院 概要
宗旨:天台宗 本尊:阿弥陀如来
美濃五山
西美濃三十三霊場第十四霊場
善学院縁由
当山は今からおよそ千二百年前の天平年間に、この地に善深大和尚が創建したと伝えられる。 その後、弘仁八年(817)秋、当時の安八郡司安八大夫安次に招かれた伝教大師(最澄)が影向の間に入られた時、 比叡山日吉権現の御姿が来光あらせられ、「この地に山王権現をまつれ」とのお告げがあった。大師は大いに歓喜せられ、 自らご神体を彫刻、鎮守の杜としてまつったのが日吉神社の始まりである。
嵯峨天皇の身世に、日吉神社を護る寺として「神護寺」と号するよう勅命があり、下って 天台宗第18世座主元三大師(良源912-985)が御来杖の折、学問所として「善学院」と命名された。
江戸時代には徳川家の守護寺として幕府から御朱印を賜り、徳川五代将軍の位牌が安置されている。
明治時代境内図
諸堂配置図
① 本堂 ② 聖天堂 ③ 元三大師堂 ④ 龍神社
⑤ 経堂
⑥ 石造大法経印塔 ⑦ 鐘楼 ⑧ 山門
⑨ 庫裡
本堂
東西9間、南北6間の建物で客殿ともいいます。藤原時代の建築様式で 手斧(ちょうな)作り工法であり柱は開基当時のものと伝えられ、この本堂の一部に影向の間があります。
鐘楼
江戸時代中期の建物で山門の東に位置し、上下縦横よく均整され 安定した姿は壮麗である。楼内二階の四方は雄渾な彫刻が施してあるケヤキの厚板で囲まれ 肘木等の組手は実に絶妙です。
梵鐘
建治3年(1277年)鋳造。元寇の役の折、敵国降服を祈願して作られたもので 宝永3年(1706年)補鋳されています。専門家さえ唐製かと見誤るほどの名鐘で、鐘音は実に清浄であり 三井寺の晩鐘を擬したと言われています。
雲鈑
青銅造り縦51cm横48cm厚さ9mmの雲鈑で応永10年(1403)の陰刻があり、日本に現存する有数の文化財です。
大般若経
奥書によれば天平勝宝(750頃)を最古とし延暦17年(798)二巻、平安時代三巻、鎌倉時代一巻、室町時代の 最も多く天正8年(1580)を最も新しいものとする尊い六百巻の写経本で奈良唐招提寺に次ぐものと言われています。
石造大法経印塔
万霊供養のため建てられた大石塔で本堂の前に屹立しております。
岐阜県重要文化財
絹本着色阿弥陀如来像:1幅 涅槃絵像:1幅
夜叉姫感得地蔵菩薩像:1幅 雲鈑:1個
神戸町重要文化財
十一面千手観音像:1躯 阿弥陀如来像:2躯 阿弥陀如来立像:1躯 地蔵菩薩像:1躯 脱衣鬼:1躯 元三大師座像:1躯 不動明王像:1躯 安八大夫座像:1躯 増長天像:1躯 多聞天像:1躯 不動明王像:1躯 大日如来像:1躯 弁財天座像:1躯 十六善神の図:1幅 慈恵大師絵像:1幅 両界曼荼羅:2幅 徳川家康絵像:1幅 金仏:1躯 梵鐘:1口 善学院本堂:1棟 大般若経:600巻 日吉神社御神実拝観に関する文書:9通 棟札:4点 芭蕉句碑:1基 墓碑断片:1基